普通の喧嘩と同じでボクシングではなく、試合の前の前座みたいなものではないだろうか。


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こんなボクシングの試合を見せ付けられれば、
(観覧しに来たお客さんは)憤りを感じて帰りたい気分になるはずです。

 

これは、ボクシングではなく、はっきり言って(只の喧嘩)です。

喧嘩みたいなボクシングの試合が、

赦されるというか、普通に考えても通用する筈がないのです。

こんな試合が、ボクシングという事であれば、

(情けない)の一言であり、観賞する価値もありません。

自分が記憶残っている試合では、元プロボクサーの「斎藤 清作」事、

コメディアン・俳優(たこ 八郎)として少しTVの間、人気者だったのです。

プロボクサーとしては、「斎藤 清作」でデビューした時の試合を

僅かながら記憶しているのですが、左目が失明している事もあり、

自然と左目を庇う(ボクシングスタイルになってしまった)のだと言う事を覚えています。

これが、後の(喧嘩殺法)と言われる由縁になっていったのですが、

あまりにもボクシングという試合から、かけ離れている試合だったと記憶に残っています。

それは、十分に相手に殴らせておき、相手の体力が消耗している所で、

勝負するというやり方なのです。

つまり、あまりにも相手に殴られ過ぎてしまった為、

ボクサーとしての選手寿命は短いものでしたが、今度は、

コメディアン・俳優(たこ 八郎)という芸名で活躍する様になったのです。

その活躍の期間も僅かなものとなってしまい、プロボクサー時代の後遺症

(パンチ・ドランカー)に悩まされてしまうのです。

そこで、コメディアン・俳優(たこ 八郎)としても成り立って行なくなりました。

この(短い生涯)だったのですが、あの生き様は、自分の中で衝撃的なものでした。

又、亀田興起選手の八百長問題がありましたが、正式なボクシングの試合で、

(八百長)みたいな小細工を使った事が暴かれてしまい、

観覧するお客さんに対して申し訳ないと謝罪しましたが、

その謝罪の仕方が問題等にもなり、(言語道断)だと思うのです。

それが、この動画で(オーナー・責任者)により、

こういう試合を主催させる事自体、可笑しく思えてならないのです。

 

ペンネーム;小さい髭おじさん


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“普通の喧嘩と同じでボクシングではなく、試合の前の前座みたいなものではないだろうか。” への2件のフィードバック

  1. JI-JI より:

    少し、今日の「小さい髭おじさん」の記事の意味が分かりません。
    この動画のどこが「ボクシングとして赦されない」のでしょうか?
    殴りあうのがボクシングです。
    自分がやらんと、相手からやられます。
    ボコボコに殴りあう時、相手の命の心配なんかしていられません。
    自分が死にますから・・・
    お互いの必死な姿に、客も高い金払って観戦に行くのではないでしょうか?
    殴りあいの戦いに、綺麗も汚いもないと思いますよ。

    • 小さい 髭おじさん より:

      JI-JI さん

      やっぱり「ボクシング」というのは、
      自分の身を守る事が第一であり、
      (自分の身を守らないと相手に遣られる)
      という事になるのですね。

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